「トマトの詩」-その後

若い日に「トマトの詩」という作品を書いたことがある、その頃は、青年婦人部(今は婦人と言わず、女性という)が機関紙を出していて、依頼され、左記の詩を書いた。

トマトの詩

繁った枝葉をちぎり落とした
花の咲かぬ
実のならぬ
枝葉をちぎり落とした

可哀そうとか
惜しいとか
思ってはならない

一つの確実な花を
一つの大きな実を
獲得するため
繁った枝葉をちぎり落とすのだ

ちっぽけなプランターに
トマトの木四本
青く小さく二つの実が風に吹かれている

トマトよ、赤くなったら
お前を食べてやる

家の中を整理していて、見つけて懐かしく読んだ。詩を書くのにまだまだ未熟な時代だったが、このころの詩の中には、今とは違う感性があり、最後の二行は、今にはない詩の勢いがある。「Soliste 」の発刊に当たり宣言した「抒情と批評(の統一)」は、すでに、この詩の中にその原点を見ることが出来るのではないかと思える。
リアルな目が現実を切り取るとき、そこに芽生えた想像力が、詩の飛躍をもたらす。
リアルな目を失った時、詩のステロタイプとマンネリズムが詩をおとしめていく。それらは、私たちの詩の最大の敵(の一つ)であり、私の内部にも潜んでいる。

そんなことを心しながら、私は詩を書き続けていく。